アイは過去にある

三十路手前で自分を振り返りはじめた人間の記録

実は今週会社に行けてない

こんばんは。

ブログでは別の話題をちょこちょこと書いていたのですが、今週が始まってから実はずっと会社を休んでしまっていました。

先週調子が良かった反動なのかはわかりませんが、朝起きて会社に行く気力が出ず、ちょっとがんばればおそらく家からは出られるのでしょうが、どうしてもそれができず…。本当に情けないです。

今日休むと4日連続の欠勤になってしまうので、なんとか出勤したかったのですがやはりダメでした。

 

そんな中状況を察した人事から、もし可能であればで今の状況を聞きたいとの連絡がありました。

またオフィスではなく、別の場所で、とのことだったので、おそらくは会社に行かなければストレスにもならないと判断し、人事と会ってきました。

 

改めて今の状況を伝え、何がストレスになっているのか、前回通院した時に病院の先生はどのように言っているのかなど話しました。

また、休みたい気持ちと出勤したい(というよりタスクを消化させねば)という気持ちとで迷っていることも正直に伝え、1週間くらいしっかりと休んでみてはどうか、と提案を受けました。

そこで、現状として4日間出勤できない状況も発生していて、なおかつ前回通院した際、先生に伝えていた「落ち着いている」という状況ではなくなってしまっていることもあり、また次回の通院は来週に予定されていたので、改めて臨時で明日受診し、先生の指示を仰いで判断するということにしました。

 

終始あたたかく話を聞いてもらって「体調を優先して欲しい」「無理はしなくてよい」との言葉をもらえるのは非常にありがたかったのですが、自分の本音の部分としては、こういう自分に罪悪感やふがいなさを感じてます。

また、もう無理はしたくないと思っている自分と、無理してでもがんばれない奴には価値が無いのだと責め立てる自分がいることを感じます。苦しい。

大切な人と決別した(事実上)

こんばんは。

 

僕が自分に向き合おうと思ったきっかけのひとつとして、大切だと思っていた人を傷つけてしまったことが出来事がありました。

 

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で、この大切な人というのが以前お付き合いをしており、1年ほど前に恋人関係は解消したものの、ずるずると友達として関わり続けていた人だったわけですが、この度、事実上決別することにしました。

 

この前のお詫びも兼ねて、例の出来事が起こる前からそれとなく約束していたイベントもあったので、それについてどうすべきかと連絡しました。

お詫びの部分については、「自分も悪かったから」と言っていましたが、今まで関わってきた経験上、本当のことを言っていないのはわかっていたものの、イベントの話へ。

すると、別の友達と行くことにしたとのこと。今付き合っているわけではないし、別の友達と遊ぶことについてとやかく言う筋合いは無いわけで。ただ、どうしても自分としてはこれからの付き合い方をはっきりさせたかった。

身バレが怖くてブログには書いてない細かい部分もあるので、話した内容を端的に言うと「共通の趣味もあるしあなたを大事な人だと思っているから、これからもイベントなどにも一緒に行きたい。だけど、新たな友達もできているだろうし、そちらの付き合いを優先したいのであればあなたを誘うのは控えたいと思っている」というもの。*1

 

それを受けて、ぽつぽつと話してくれたのですが、結局のところは「単純に新しい友達と一緒にいるのが楽しいだけで、もう付き合っているわけじゃないんだしベンチくんを優先する必要は無い。あと別れた後もずっと連絡も取ってたけど、この人(僕のこと

)は自分がいないとダメなんだと思ってたから。」とのことでした。

僕は自分さえちゃんとすれば、また一緒にいられるのかな、って勝手に思ってたし、そういう気持ちも伝えてたんだけど、相手は曖昧な態度のままで。その態度の源泉が同情だったと知って、ものすごく惨めでした。悲しい。

 

で、相手としては、こういう関係を続けるかどうかの話をすることも嫌で、結論を出さずにこの話を止めたい(電話を切りたい)と。これ以降連絡が無くてもいいし、また遊ぶことになってもどっちでも良いと。

もうここまで言われて、自分としては関係を続ける意味は無いと思っていたので、それを伝えることもできたのですが、相手に酷だろうと思って、そのまま受け入れ電話を切りました。タイトルに(事実上)としたのは、明確に決別したことについて合意していないからです。

 

岡田先生の愛着障害の本を読んで、おそらく相手は回避性の愛着スタイルを持っているのではないか、となんとなく感じていました。特に相手との衝突を避け、大事な話ができずに拒否してしまう点については強く心当たりがあって、僕は不安性の愛着スタイルなので、相性は最悪ですね。あまり考えたくはないけど、こうなるべくしてなったのかなと今は思っています。

 

心のどこかで、自分が愛着障害を克服して、相手を受け止めてあげたいなどと勝手に考えていたわけですが、それも叶わなくなってしまったと思ったと同時に、未来の家族のために呪いを解くと言っておきながら、その人のために克服しようとしていたことに気づきました。つくづく未練がましい生き物だと感じます。

 

無力、孤独、無目標。結局ここに戻ってきちゃったなあ。

*1:自分で書いてて、しつこいというか面倒くさい男だな…と思った

2度目の通院でした

こんばんは。

 

先日2度目の通院に行ってきました。

割と気持ちは落ち着いていたのでその旨を伝えつつ、だからといってやる気が出るわけでもなく淡々と仕事をこなすものの、むなしさがあることを話しました。

薬が効いているのかは正直実感としてなかったのですが、先生の判断で、少なくとも悪い方向に進んでいるわけではないようなので、とのことで薬の量が増えました。*1

 

診察が仕事の話だけで終わりそうだったので、先日話した愛着障害の件についてはどうなんでしょう?と話題に出してみたところ、仕事で辛いことがあればいろいろ考えることもあるだろうとの返答。

なんだか要領を得なかったので、先生としてどのように考えているのか、あるいは僕からの相談ありきなのかとお伺いすると、ベンチさんが思うことを話してくれればいいんじゃないか、とさらに要領を得ない返答。

1回目の受診の時点で僕の状況はそれなりに理解してくれていたと思っていたし、どちらかといえば、先生が道筋を作って治療してくれるものだと思っていたので、この手ごたえの無い感じに面食らってしまい、何かを話すこともできず、また話すことをまとめてきます…とその日は退散してしまったのでした。

 

自分が抱えてる人間としての欠陥って、無意識にプログラミングされているもので、何かトリガーがあると暴発してしまうような気がしてるので「今何が困ってますか」っていうと「実際問題として、今困ってることはないんだけど、これまで困ってきたことがあるし、将来も困りそうなこの欠陥を直したいんです」っていう話なんですよね。

はじめて会う人や時々会う人にはおそらくまともな人間に見えてるんだろうけど、そうじゃなくて親しくなってきて、自分をさらけ出すようになってきたときに自分の結果がぶちまけられてしまうのが問題なわけで。

 

結局通院なんかじゃ直らなくて、自分で自分を理解して直さなきゃいけないのかも、と思い始めています。

9mm Parabellum Bullet - ガラスの街のアリス

 

*1:サインバルタってなんであんな高いんや・・・

親のせいにするわけじゃないんです

こんばんは。

 

昨日まで調子が良かった反動か、今朝とてもしんどく、遅刻してなんとか出勤しました。

朝は神経が過敏になるのか今まで我慢できるようなことができず、苛々してしまうようになったことに気づきました。特に電車の中。

明日調子が良くて早起きできたら、空いてるバスで会社まで行こうかな。

 

過去の悲しかったことや傷ついたことを振り返る時、最近は親から言われたことやされたことが割と思い出されるようになっていて、自分としては、過去の辛かった気持ちを今認めてあげることで、消化していこうと思っているのですが、おそらく人から見れば「親のせい」にしようとしていると思えるんだろうなあと思ったのでした。

 

職場の人に、今の状況を親に伝えておいた方がいいのではないか、と提案されたのだけど、あまりピンと来なかった。

なので、父親が苦手で、例えば過去にはこんなこともあって理解されず悲しかった、というような話をしたのだけど、いまいち理解されなかったようでした。

家族は替えがきかないから、ともその人は言っていて、まあ確かにその意味としてはわかるんだけど、家族とはいえ他人だし、兄弟とも仲良くないし、そもそも近くにはいないから生きてるかどうかすらわからないし、などと思ってしまって、すこしうんざりするのでした。

普通の親子関係ってなんなんですかね…。

 


YOUR SONG IS GOOD - Double Sider -【OFFICIAL MUSIC VIDEO】

心をすり減らしながら僕は何を得るのか

こんばんは。

朝はやっぱり今日もドキドキしましたが、日中の憂鬱は落ち着いている気がします。飲んでいる薬が効いているのか、プレッシャーに感じる要素が少ないからか…とにかくあまり調子には乗らず、無理せずに日々を過ごしていきたいと思います。

 

昨日、部署のメンバーに自分の状況を打ち明けたわけですが、その件で仕事上でいつもお世話になっている、別部署の方と話す機会がありました。

in-the-past.hatenadiary.jp

 

いろいろ話したのですが「苦しんでまでする仕事は無いから」と言ってくれたことが印象に残っています。

この言葉ってどこかで目にしたことはあって、理解はしつつも、それを許さない状況があったりして、自分は踏ん切りがつかないんだろうなあと思っていたのですが、生身の人間から言われたことで、何か決意できるかもしれないと思ったのでした。

 

仕事上、厳しい局面や頑張り時や耐える時など、何かしらストレスになるものはあって然るべしとは思うのですが、やはり人の悪意や激しい言葉、相手を貶めてやろうという感情に強い嫌悪感があります。というか怖くなる。

電話やメールで言葉がきつくなる人も、目の前にその人間がいたら同じ言葉を言えないでしょ?!って。*1

そういう感情に心をすり減らして我慢してきた結果として、今こういう状況になっているのかなと思ったり…

 

攻撃性の高い感情が「怖い」と思うのは、父親に怒られて、殴られたりした時の気持ちや記憶がこびりついているのかなと思います。怒っている人に対して逆らえないと思ってしまう。

その一方で、自分が嫌悪しているはずの攻撃性を抱えていることに気づいて、矛盾を感じて悲しい気持ちになります。 

もちろん普段はその感情をコントロールしようと努めているのですが、あるきっかけで暴走してしまうのではないかと、びくびくしています。

 

それは例えば、自分に子供ができて、自制しようと努めていても、あるきっかけで父親と同じようにしてしまうのではないか、子供に手をあげてしまうのではないか、というようにも思っています。

そう考えると、どれだけ時間がかかっても、どれだけ辛くても、自分の呪いは自分が解いて、これ以上呪いを連鎖させるわけにはいかないと思うのでした。

*1:たまにそのあたり区別のつかない攻撃力の高い人もいます