アイは過去にある

三十路手前で自分を振り返りはじめた人間の記録

すごく悲しいということはない

こんばんは。

 

先週に比べて少しずつ気分は落ち着いてきているみたいです。多分月初の報告が終わったせいだと思います。

あと2週間もすると次の月初がやってきてしまうので、束の間の休息というやつかもしれません。

 

気持ちは落ち着いてきていると書きましたが、どちらかといえばすごく悲しいということはなく、激しく気分が沈むこともないが、浮かぶこともないという感じです。

仕事中は常に何か悲しく苦しく、人から話しかけられば最低限の愛想を振りまいてみたり少し笑ってみたり、でもその後すごくむなしくなります。

僕はやりがいも感じられず、淡々とタスクをこなすだけの機械になってしまいました。その機械もちゃんと動けばいいのですが、集中力が持たず何かをぼんやり考えてしまったりするので、機械だとしても不良品なんじゃないだろうか。

 

職場で自分の辛いことだとかを聞いてくれていた人が今日の僕の様子を見て瞑想など試してみてはどうかと提案してくれたのですが、気遣ってくれていることがわかってしまったり、「自分の悲しさやむなしさはそういうことじゃないんだよ」と妙な捻くれが出てしまったりして、素直に善意を受け取れないでいるのでした。

本当は自分の辛さをわかってくれる人がものすごく欲しくて、その人にも思ってることを素直に話したい。

でも、その反面、そんな迷惑なことはできないし、というか自分の話すことを否定も肯定もせず受け止めてくれる人などは現われないだろうし、もし最初はうまくいっていても少し前の出来事のように激情をぶつけてしまったりして、関係が壊れてしまうんだろうな…と想像してしまいます。そうなるとは限らないのに、です。

 

僕は今の気分でいることが苦しいのですが、もっともっと重い症状じゃないと病気じゃないんでしょうか。

病気じゃないとすれば、こんな風に心がしんどいのはただの甘えや逃避で、これからもずっとこうしていかなければならないのでしょうか。

無気力で怠惰で、ぼんやりと消えてしまいたいと思う日々は生きてるといえるのかな。


Black Merlin - Somewhere in Ubud [Island Of Gods]

5/15

朝出勤してあまりにも辛かったので、友達に話を聞いてほしいと訴えたところ、都合がちょうどあったので、ご飯を食べながら今の状況を吐き出す機会をもらいました。

気を使ってくれてるのだと思いますが、話した内容に共感してもらえて、自分だけがおかしいのではないのだと実感します。

ただ一番辛い朝に考えていたことは、夜になるとどこかに消えてしまいます。

 

朝はとにかくしんどくて、夜に向けて少しずつ気が上向いていくため、朝の自分が嘘っぽく感じられ、体調が悪い自分に酔っているのではないかと思ってしまいます。

自分をうまくコントロールできるようになりたい。

母の日の話

昨日は雨が降っていて出かけられなかったので、雨があがった今日はここぞとばかりに外出しました。

が、外に出て電車に乗っただけなのに疲れてしまいました。

疲れやすいのは仕事の時だけにして欲しいし、自分の不調を自覚したくもないので、悔しくて1時間ほど歩いてしまいました。意外にいけるもんです。

歩いたおかげで身体は疲れているんですが、頭は明日からの仕事について考えて憂鬱な気分です。

先週末、体調不良によって欠勤していたので、なおさら気が重いです。できればもう少し休んでいたい…

 

今日が母の日だということに、googleのトップロゴで気づきました。

僕の母は、僕が十代の頃に病気で亡くなりました。命日は意識してるんですが、母の日に母親のことを想って…などというのはしばらくしていません。割とあっさりしていますが、それが現実なのでしょう。

とドライなことを言ってますが、母親のことは嫌いではありません。反抗期の時には人並みにぶつかることもありましたが、基本的には仲が良い親子でした。

僕は高校を中退してアルバイトをしていたのですが、フルタイムで働いていたわけではなく、学生よりは家にいることも多かったので、そのおかげで母と過ごす時間が他の兄弟よりは多かったです。家にいることで余計な心配をかけてしまったようにも思いますが…

 

母が亡くなってから十数年経ちます。亡くなる前には入退院が度々続くような状態だったため、母が亡くなっても実感が湧かないものでした。

また、兄弟の中でも一番年上であったこともあり、「お兄ちゃんなんだからしっかりしなきゃね」と当たり前のように言われていました。その時はすんなり受け入れていたのですが、今思えばなんとも理解できない話です。十代の子供が母の死をすんなり受け入れられるはずないのですから。

ありえないことですが、もしあの時の自分に話しかけることができるのであれば、「お兄ちゃんとか関係ないから、素直に悲しんでいいんだよ」と声をかけてあげたいです。

 

母親が亡くなった後は父親と兄弟との生活になりますが、兄弟とはうまくいかず、また父親はもともと苦手だったこともあり、孤独だったように思います。*1

その後、母親がまだ生きていた時に取得していた大検で大学に入学するのですが、それ以降家族の思い出といえるものは記憶にありません。

 

父親は苦手で何も相談したくありません。僕の話を真正面から受け止めてくれたことがありません。

そんな時母親に相談できたらいいのに…と思うのです。励ましてくれても、怒ってくれてもいい。今の状況を話したら、母はなんと返答してくれるだろうかと考えてしまいます。

ここまで書いてきて、僕が生きていて感じる強い孤独は母が死に、家族の誰にも相談できないと考えていることが起因しているのかもしれないと思いました。

 

昔、父親と買ったプレゼントを母の日に母親に渡したことを思い出しました。すごく喜んでくれたと記憶しています。同じようなことが二度とできないことを思うと残念でなりません。

状況や関わり方は人それぞれかと思いますが、もし母親に感謝したいと思っている人がいるならば、母親が生きているうちにすべきです。月並みですが、いなくなってからではその感謝を直接伝えることはできないのですから。僕はその感謝を直接伝えることができる状況にある人が、うらやましくてなりません。

*1:と書いていて、その時のことをあまり思い出せないことに気づきました。

僕がブログを書くに至った理由

ごあいさつ

はじめまして、ベンチです。

僕は都内で事務職に従事する、まもなく三十路を迎える男です。

FacebookTwitterは別として、ブログを書こうと思ったのは十数年ぶりです。

ブログを書くきっかけ

自分のもやもやした気持ちや過去の記憶などを言語化し、自分自身を見つめ直すためにブログをはじめました。

僕はここ数ヶ月の間で、仕事でリーダー役に任命されたことのストレスをきっかけに、元々持っていた落ち込みやすい性格が増幅され、うつ状態に陥ることが増えました。

そんな状態でも仕事が消えて無くなることはないので、また新たなストレスを受け、日に日に状況が悪くなっていることを感じていました。

そんな中で、大切な人に対して嫉妬や羨望や不安が入り混じった激しい感情をぶつけ傷つけてしまいました。

その後、時間が経つにつれ、やってくるのは虚無感と、また相手に対しての申し訳ないという気持ちです。

冷静になってみると、もっと健全なコミュニケーションはあったことに気づくのですが…

僕はこれ以上大切な人を傷つけたり、失いたくないという思いから、自分の弱い部分や感情を見つめ直そうと決意しました。

愛着障害との出会い

自分の状態を知るため、始めはうつ状態に関する本を読んでいたのですが、友人から岡田尊司先生の愛着障害に関する本を薦められました。

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

 

これを読んだところ、今までの自分の行動や思考が不安型の愛着スタイルに当てはまる部分が多いことに気づき、「自分は愛着障害なのではないか」「このうつ状態愛着障害が原因なのではないか」という疑念を持つに至り、これを克服したいと思うようになりました。

そして、その克服の一助とすべく、自分の過去やそれに起因する感情について言語化したいと考え、ブログをはじめることにしました。

さいごに

なお、今の段階では上記の本を読んだのみで実際に愛着障害であるとの診断がなされたわけではありません。

バーナム効果*1というのもあるので、なんともいえない部分も多いです。

また、カウンセリングに通い克服できればと考えていますが、治療の方針も検討中です。

僕としてはそれらも含めて、自らが抱える問題の克服録として、また同じような思いや経験をしている方の参考になれば嬉しいです。

 

本当は文章を書く練習として、克服する中で取り組んだこと、読んだ本、好きな音楽のことなど書ければいいな…とは思っているのですが、この文章を書くのにも時間がかかってしまいどれだけ続けられるかわからないが正直なところです。

ゆるりと続けていければと思っています。


Rosegold Entro Senestre

 

*1:誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる性格なものだと捉えてしまう心理学の現象 wikipediaより