アイは過去にある

三十路手前で自分を振り返りはじめた人間の記録

心をすり減らしながら僕は何を得るのか

こんばんは。

朝はやっぱり今日もドキドキしましたが、日中の憂鬱は落ち着いている気がします。飲んでいる薬が効いているのか、プレッシャーに感じる要素が少ないからか…とにかくあまり調子には乗らず、無理せずに日々を過ごしていきたいと思います。

 

昨日、部署のメンバーに自分の状況を打ち明けたわけですが、その件で仕事上でいつもお世話になっている、別部署の方と話す機会がありました。

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いろいろ話したのですが「苦しんでまでする仕事は無いから」と言ってくれたことが印象に残っています。

この言葉ってどこかで目にしたことはあって、理解はしつつも、それを許さない状況があったりして、自分は踏ん切りがつかないんだろうなあと思っていたのですが、生身の人間から言われたことで、何か決意できるかもしれないと思ったのでした。

 

仕事上、厳しい局面や頑張り時や耐える時など、何かしらストレスになるものはあって然るべしとは思うのですが、やはり人の悪意や激しい言葉、相手を貶めてやろうという感情に強い嫌悪感があります。というか怖くなる。

電話やメールで言葉がきつくなる人も、目の前にその人間がいたら同じ言葉を言えないでしょ?!って。*1

そういう感情に心をすり減らして我慢してきた結果として、今こういう状況になっているのかなと思ったり…

 

攻撃性の高い感情が「怖い」と思うのは、父親に怒られて、殴られたりした時の気持ちや記憶がこびりついているのかなと思います。怒っている人に対して逆らえないと思ってしまう。

その一方で、自分が嫌悪しているはずの攻撃性を抱えていることに気づいて、矛盾を感じて悲しい気持ちになります。 

もちろん普段はその感情をコントロールしようと努めているのですが、あるきっかけで暴走してしまうのではないかと、びくびくしています。

 

それは例えば、自分に子供ができて、自制しようと努めていても、あるきっかけで父親と同じようにしてしまうのではないか、子供に手をあげてしまうのではないか、というようにも思っています。

そう考えると、どれだけ時間がかかっても、どれだけ辛くても、自分の呪いは自分が解いて、これ以上呪いを連鎖させるわけにはいかないと思うのでした。

*1:たまにそのあたり区別のつかない攻撃力の高い人もいます