アイは過去にある

三十路手前で自分を振り返りはじめた人間の記録

母の日の話

昨日は雨が降っていて出かけられなかったので、雨があがった今日はここぞとばかりに外出しました。

が、外に出て電車に乗っただけなのに疲れてしまいました。

疲れやすいのは仕事の時だけにして欲しいし、自分の不調を自覚したくもないので、悔しくて1時間ほど歩いてしまいました。意外にいけるもんです。

歩いたおかげで身体は疲れているんですが、頭は明日からの仕事について考えて憂鬱な気分です。

先週末、体調不良によって欠勤していたので、なおさら気が重いです。できればもう少し休んでいたい…

 

今日が母の日だということに、googleのトップロゴで気づきました。

僕の母は、僕が十代の頃に病気で亡くなりました。命日は意識してるんですが、母の日に母親のことを想って…などというのはしばらくしていません。割とあっさりしていますが、それが現実なのでしょう。

とドライなことを言ってますが、母親のことは嫌いではありません。反抗期の時には人並みにぶつかることもありましたが、基本的には仲が良い親子でした。

僕は高校を中退してアルバイトをしていたのですが、フルタイムで働いていたわけではなく、学生よりは家にいることも多かったので、そのおかげで母と過ごす時間が他の兄弟よりは多かったです。家にいることで余計な心配をかけてしまったようにも思いますが…

 

母が亡くなってから十数年経ちます。亡くなる前には入退院が度々続くような状態だったため、母が亡くなっても実感が湧かないものでした。

また、兄弟の中でも一番年上であったこともあり、「お兄ちゃんなんだからしっかりしなきゃね」と当たり前のように言われていました。その時はすんなり受け入れていたのですが、今思えばなんとも理解できない話です。十代の子供が母の死をすんなり受け入れられるはずないのですから。

ありえないことですが、もしあの時の自分に話しかけることができるのであれば、「お兄ちゃんとか関係ないから、素直に悲しんでいいんだよ」と声をかけてあげたいです。

 

母親が亡くなった後は父親と兄弟との生活になりますが、兄弟とはうまくいかず、また父親はもともと苦手だったこともあり、孤独だったように思います。*1

その後、母親がまだ生きていた時に取得していた大検で大学に入学するのですが、それ以降家族の思い出といえるものは記憶にありません。

 

父親は苦手で何も相談したくありません。僕の話を真正面から受け止めてくれたことがありません。

そんな時母親に相談できたらいいのに…と思うのです。励ましてくれても、怒ってくれてもいい。今の状況を話したら、母はなんと返答してくれるだろうかと考えてしまいます。

ここまで書いてきて、僕が生きていて感じる強い孤独は母が死に、家族の誰にも相談できないと考えていることが起因しているのかもしれないと思いました。

 

昔、父親と買ったプレゼントを母の日に母親に渡したことを思い出しました。すごく喜んでくれたと記憶しています。同じようなことが二度とできないことを思うと残念でなりません。

状況や関わり方は人それぞれかと思いますが、もし母親に感謝したいと思っている人がいるならば、母親が生きているうちにすべきです。月並みですが、いなくなってからではその感謝を直接伝えることはできないのですから。僕はその感謝を直接伝えることができる状況にある人が、うらやましくてなりません。

*1:と書いていて、その時のことをあまり思い出せないことに気づきました。