アイは過去にある

三十路手前で自分を振り返りはじめた人間の記録

大切な人と決別した(事実上)

こんばんは。

 

僕が自分に向き合おうと思ったきっかけのひとつとして、大切だと思っていた人を傷つけてしまったことが出来事がありました。

 

in-the-past.hatenadiary.jp

 

で、この大切な人というのが以前お付き合いをしており、1年ほど前に恋人関係は解消したものの、ずるずると友達として関わり続けていた人だったわけですが、この度、事実上決別することにしました。

 

この前のお詫びも兼ねて、例の出来事が起こる前からそれとなく約束していたイベントもあったので、それについてどうすべきかと連絡しました。

お詫びの部分については、「自分も悪かったから」と言っていましたが、今まで関わってきた経験上、本当のことを言っていないのはわかっていたものの、イベントの話へ。

すると、別の友達と行くことにしたとのこと。今付き合っているわけではないし、別の友達と遊ぶことについてとやかく言う筋合いは無いわけで。ただ、どうしても自分としてはこれからの付き合い方をはっきりさせたかった。

身バレが怖くてブログには書いてない細かい部分もあるので、話した内容を端的に言うと「共通の趣味もあるしあなたを大事な人だと思っているから、これからもイベントなどにも一緒に行きたい。だけど、新たな友達もできているだろうし、そちらの付き合いを優先したいのであればあなたを誘うのは控えたいと思っている」というもの。*1

 

それを受けて、ぽつぽつと話してくれたのですが、結局のところは「単純に新しい友達と一緒にいるのが楽しいだけで、もう付き合っているわけじゃないんだしベンチくんを優先する必要は無い。あと別れた後もずっと連絡も取ってたけど、この人(僕のこと

)は自分がいないとダメなんだと思ってたから。」とのことでした。

僕は自分さえちゃんとすれば、また一緒にいられるのかな、って勝手に思ってたし、そういう気持ちも伝えてたんだけど、相手は曖昧な態度のままで。その態度の源泉が同情だったと知って、ものすごく惨めでした。悲しい。

 

で、相手としては、こういう関係を続けるかどうかの話をすることも嫌で、結論を出さずにこの話を止めたい(電話を切りたい)と。これ以降連絡が無くてもいいし、また遊ぶことになってもどっちでも良いと。

もうここまで言われて、自分としては関係を続ける意味は無いと思っていたので、それを伝えることもできたのですが、相手に酷だろうと思って、そのまま受け入れ電話を切りました。タイトルに(事実上)としたのは、明確に決別したことについて合意していないからです。

 

岡田先生の愛着障害の本を読んで、おそらく相手は回避性の愛着スタイルを持っているのではないか、となんとなく感じていました。特に相手との衝突を避け、大事な話ができずに拒否してしまう点については強く心当たりがあって、僕は不安性の愛着スタイルなので、相性は最悪ですね。あまり考えたくはないけど、こうなるべくしてなったのかなと今は思っています。

 

心のどこかで、自分が愛着障害を克服して、相手を受け止めてあげたいなどと勝手に考えていたわけですが、それも叶わなくなってしまったと思ったと同時に、未来の家族のために呪いを解くと言っておきながら、その人のために克服しようとしていたことに気づきました。つくづく未練がましい生き物だと感じます。

 

無力、孤独、無目標。結局ここに戻ってきちゃったなあ。

*1:自分で書いてて、しつこいというか面倒くさい男だな…と思った